昨年は3万1千人以上の方が自殺されたということです。大変な数ですが、その自殺の理由は何でしょうか。前ページへ
病気を苦にしては4割程度です。本当に死に至る病気の人はもっと少ないでしょう。他の人は健康体です。では、何で死にまで追い込まれるのでしょうか。
「食べていけなくなった」とよく言われますが、それは嘘です。世間体さえ気にしなければ、今の日本で餓死することはありません。
人類の歴史は、長い長い間、飢餓との戦いでした。現在でも地球の多くの国では飢えています。しかし、日本でどんなに失敗しても、餓死するところまで追いつめられません。
さまざまな救済もあります。失敗は人生の常ですから、また頑張ればよいことです。では、どうして死ななければならないのでしょうか。
「テレビを見ていると、ある公共団体の方が自殺したというニュースが流れました。顔写真を見てやっぱりと思いました。
自殺される人の多くは、世間の評価を気にされる人です。社会の評価がアイデンティティー、自分の価値です。しかし、すべての人から良い評価を得ることは不可能です。
しかも、失敗すれば今までの努力はすべて無意味になります。自分に価値がなくなったように感じ、世間を歩けなくなります。
追い詰められたのは、やはり世間体ではないでしょうか。世間体さえ捨てれば、つまり「世間の評価で自分の価値を決める」ことをやめれば、大多数の人は自殺しなくてもよかったのではないでしょうか。
世間体で生きるということは、「他人の山」を登る生き方です。「他人の山」で人生が終わってしまうまは寂しいことです。
死を選ぶ前に、「自分の価値を何によって決めているのか。本当の価値はどこからくるのか」ということを考えていただきたいと思います。
私たちは75兆個の細胞で生きています。1個といえども自分で増やして生まれてきていません。心臓は1日に10万回動いています。1回といえど自分で動かしていません。
太陽、酸素、水、すべて自分で作ってはいません。医学的に見れば、私が生かされて生きているのは単純な事実です。生かされてるというのは宗教や道徳とは無関係な医学的事実です。
しかも、私が立派だから、感謝しているから、生かしてくれているのではありません。立派でなくても、感謝していなくても生かしてくれています。
私を医学的に生かしてくれている存在から見れば、私は価値あるもの、かけがえのないものなのでしょう。これが私の存在価値です。
社会は、衣食住を得るためのシステムではあっても、私の価値を決めるものではありません。社会に求めるものは餓死しないことです。私の存在価値ではありません。
死にたいと思われる方の多くは、「社会適応しようとする自分」と「自分を生きたい自分」との葛藤が延々と続き、無気力無感動に落ちていく、新型ストレスという、現代人に特徴的な新しいストレスにに捕らわれておられます。
死ぬ前に、本当の自分を生きたい人のための心療内科で、新型ストレスついて学び、世界の本当の姿を見てください。大きな生命の世界で生かされてる自分の価値を発見しませんか。そして、あとは「本当の自分を生きる、自分の山を登る生き方」を目指しませんか。