心療内科医笹田信五カウンセリングルーム

倒産しました


  Tさんは、50歳代後半の男性です。地方の名士で代々続いた家業を発展させて、店舗の数も随分増やされました。なかなか羽振りの良い人でした。

  「先生、倒産しました。手を広げすぎました」、突然、電話口の向こうからは、沈んだ声が聞こえてきました。

  「代々続いた家屋敷も山も売らなければなりません。家内は連帯責任者になるのが嫌なので離婚してくれと言っています。子供たちも親父が勝手にしたことなので、関係ないと言ってどこかへ行ってしまいました。

  周囲の声に耳を傾けず 、家族への思いやりも欠けていました。このままでは、自滅しますよと数年前、先生に言われたことが当たりました。こんな時に、ひとりぼっちになってしまいました」

  昨今の日本経済の悪化は本当に深刻です。特に地方の名士というのはつらいです。事業の失敗だけではなく、家の外を歩けなくなります。最悪の場合は自殺にまで追い込まれるでしょう。

  延々とTさんの言葉は続きます。そこで私は質問をしました。
「Tさん、あなたは他人の山を登るのですか、自分の山を登るのですか?

  「えっ..? 先生、それどころではないのです。明日は銀行の人と会って話をしなければならないのです。銀行は景気の良いときには、どんどんお金を貸しますから使ってくださいとお願いをしに来たのに、今度は手のひらを返すような仕打ちですよ。こんな無念なことってありますか」

  そうでしょうね。Tさんの無念さ、やるかたない思いは分かります。Tさんは、事業を拡大されましたが、食べたり飲んだりのどんちゃん騒ぎで浪費されたわけではありません。家業を守り発展させようと一生懸命に頑張られただけです。それが、この結果です。

 
「お気持ちはわかりますよ。無念ですね。でも、他人の山を登り続けるのですか。自分の山を登りたいのですか?」
 
  「いや、先生。家屋敷や山を売るといっても、なにせ土地の値段が下がっていますから、それだけで足りるかどうか分からないのです」

  聞いている私も、思わずうなってしまいそうです。まだ、Tさんの話は続きます。しかし、だんだんと同じことの繰り返しになり、話が堂々巡りになってきました。一気に一通りの話をされたので、ちょっと話がとぎれたり、ため息まじりになってきました。

  「それで結局、Tさん、他人の山にされるのですか、自分の山にされるのですか?」。今度は、今までとは違って、少し考えておられるようです。

 
「そう言われれば、今まで世間の評判ばかりを考えて生きてきたように思います。事業も良い評判を得るためだったように思います。他人の山と言われれば確かにそうです」

  「それで楽しかったですか」

 
「いえ、つらいことの方が多かったです。うまくいって当たり前ですから。もし、失敗したらどうしょう。周りからなんと言われるだろうと思うと、成功していたときでも不安でした。今、失敗して本当につらいです。それを他人の山を登っていたと言われると、返す言葉がありません」

  「では、どうでしょう。Tさん、心の奥底に自分の山を登りたい。本当の自分を生きてみたいという気持ちはありませんか」

 
「そうですね。何かそういう気持ちがあるようです。いえ、確かに自分を生きてみたいという気持ちはあります」

  「それは良かったです。その気持ちがあるのなら、自分を生きることを選ばれませんか」

  
「はい、今までそんなことは考えたこともありませんでした。これからのことを考えると、このまま他人の山を登り続けてもつらいことばかりです。いや、生きてさえいけないかもしれません。空しいです。自分を生きられるのなら生きてみたいです」

  ここまでくると、私のほうも「ほっと」します。危機は過ぎ去りました。

  「自分の山を登るということなら、話は簡単ですよ。では、自分の山を登るために必要なことを、一つだけ言ってください」

  少し長い沈黙の後、Tさんは答えられました。
「それは、命ですか?」

  「そうです、Tさん。命です。自分の山を登るには、何も要りませんが、命だけはいります。でも、それは難しくないですね。生きていくためには、1日におむすび3個あればすむことです。

  他人の山を登るには、地位も名誉も財産も世間体もいりますが、自分の山を登るためには、あっても役に立ちません。つまり、無くなったとしても無関係です。

  勿論、自分の本心が、他人の山を登りたいというのなら、それらは重要です。無くてはならないものでしょう。しかし、Tさん、
あなたの本心が、自分の山なら、必要なものは、自分だけです。それが本心であり、本当の希望なら、今回のことで一体何を失ったのでしょうか?

 
もし、事業もほどほどにうまくいっていれば、Tさんは、事業にしばられて一生が終わったことでしょう。世間体がすべてだったでしょう。
 
今回の出来事は確かに不幸でつらいものですが、やっと世間体から強制的ではありますが、自由にしてもらえたのです。自分の山への出発点になるのならば、大きい犠牲ではありますが、喜びの第一歩です。

  電話口のTさんの声に少し柔らかさがでてきました。涙を流しておられるのかもしれません。しかし、それはここ数ヶ月間、孤独と後悔で追いつめられてきた心に、やっと安心と光を見いだされたためでしょう。

  後は、生かされてる医学の5つの発見を学び、安らぎと自信を取り戻し、実際に、自分の山を登っていってほしいと願っています。
        

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