阪神大震災が起こって半年ほど過ぎた頃のことです。「被災した私たちの記録」の出版記念会があり、簡単な挨拶をした後で、ある病院の院長をされている女医さんから「先生は精神科ですか」と声をかけられました。「いえ、私自身は心の病を患っていますが、内科医です」とお答え致しました。
「阪神大震災は忘れてはならない。物の復興で終わってはならない。そのためには、大きな生命の世界の中で生かされてるという医学的事実に帰り、そこから出発しましょう」。そのようなことをお話ししたからでしょう。
その先生は、「阪神大震災の惨状を前にして、自分も看護婦も何もできなかったという悔いと無力感を強く感じている」と語られました。
確かにそうだと思います。電気も、水も、ガスも断たれては病院の機能はストップします。スタッフも道路が壊れたり停滞したりして通行できないので出勤できません。しかも、死者6500人以上という数字が示すように、一挙に集まってくる患者さんの、しかも一刻を争う状態の人も多かったなかで、何ができたでしょうか。
すぐに医薬品類も底をついたことでしょう。現場におられた医療スタッフの方々の困難さと、しかし何もできないという悔しさは想像できます。
「これが世界有数の豊かな都市で起きたことなのか、果たして世界一の豊かさを十分に使いこなしてきたのだろうか」と、やり場のない悲しみを感じます。物の復興だけでは希望がありません。喪失感と空白感と閉塞感で自分自身が消えてしまいそうになります。
一人一人が自由で平等で本当の自分を生きられる「心の時代」の出発点にできたらと心から願います。そのためには、生かされてるという医学的事実を原点とした復興が必要なのではないでしょうか。
しかし、もう一つの問題があるように思えます。それは、では大震災が起こる前は充分な医療ができていたのかということです。
「それは当然でしょう。高度な医療機器で診断し、薬も注射も充分使いました」。でも、医療をする側にとっては充分でも、患者さんにとって充分だったのでしょうか。死んでいくということは、薬も注射も効かない。医者も看護婦も高度な医療機器も何の役にも立たないということです。
死んで行く側から見れば、役に立つ物はなにもありません。おいしい物も食べられず、楽しい趣味の会にも参加できず、社会的な地位や生きがいも奪われて、ただの弱い病人として死んで行かなくてはなりません。
「人間が死ぬのはやむを得ないことだし、出来る限りのことをしたのだから納得してくれたでしょう」。それは、生きている人間の考えではないでしょうか。まだまだ自分は死なないと考えている立場からの言葉ではないでしょうか。
確かに、大震災のときのような緊急時には、医療体制が万全であれば多くの人の命が救えます。平時であれば、助けられたはずという場合も少なくなかったでしょう。その無念さは当然であり、忘れてはならないし、その無念さを新しい街造りのエネルギーにしなくては、今回の大震災で亡くなった方への追悼はできないでしょう。
しかし、平和なときでも、世界最高の医療を実践していても、死はあります。最終的には救えないという事実も忘れてはならないと思います。最後はやはり医者も看護婦も役に立たないのです。
いろいろな治療や看護ができただけに、逆に死んでいく人の心は見えていないことが多いかもしれません。最後の日までその人らしく生きることに、どれだけお手伝いできたでしょうか。
それは、ホスピスの仕事であり、普通の病院の役割ではないというのなら、現在の病院は人間を物としか見ていないのです。人間は、そこでは物として扱われ、物として死んでいるのです。この無力感も大切にすべきだと思います。そこから初めて、本当の生命の世界が見えてくるはずだからです。
阪神大震災では、家や仕事や思い出の場所、家族や仲間の命、実に多く物を失いました。しかし、残された私たちには、「生かされてるという医学的事実」までは失っていません。最も大切な原点は失ってはいないのです。
さらに、私たちは物ではありません。物から生命や精神や心が発生したという唯物論は極端な仮説です。物としての身体は傷み壊れていきますが、心まで壊れることはありません。若いときも年を取ったときも、元気なときも病気のときも、生き生きとした生命の世界を生きています。生かされています。
このことを原点とした生き方をしたいものです。私はそのようなお話しを致しました。
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